Old Commentaries Kokinshu Spring 1
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「古」は神代より延喜までの歌を集むを云ふ。「今」は延喜代の人々の歌を集むを云ふなり。また、「古今」の二字、義多くあり。尋ぬべし。
春歌上
毘沙門 この部の歌、六十八首。この中、返歌一首。定本、歌一行??書く平仮名なり。
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毘沙門 旧年立春
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正義
あはれ立ちよらんとせしのみなりしを、それより人も咎むるばかり、香にしみてうち匂へるかな。立ちよりて馴たらんにこそ、さはあらめと、あやしむ方にいへるなり。その実はとばかり立ちよりたるを、わざとおぼめきていへるは、そのしばらくの程に過ぎて余りしく匂ひの残れるを、つよくいはむとてなり。「よるばかり」は、立ちよらまくせし程のことにて、なほいまだ立ちよらぬ詞なり。古歌に「裾ふむばかり近けれど」などいへるも、裾ふむほどの、といへるにて、その実はふむにてはなきをしるべし。死ぬばかり、身をやくばかり、の類、みな然り。「見ずもあらずみもせぬ人の恋しくは」とよめるも似たる意ばへなり。俗にもあまりはつはつにて見も遂やらず聞も果ざることをば見んとせしまに聞んとするほどに、などいへるに同じ。見ん聞んはいまだ見ず、いまだ聞ざる、さきの語なるをや、これおのづからなる語勢なり。人の咎むるは人香にや触れたらんと疑ふなり。